2014年8月15日金曜日

てかて企画  9月14日(日) バハ・カリフォルニア vol.3 @小岩bushbash


お控ぇなすって。
みなさま、おぼんでがす。

つい今し方、
フライヤーの入稿を終わらせたおかげで、
少々テンションが高うございますが、お気になさらず。

といった風情で、
記念すべき34歳最初の日は、
夜鍋してのフライヤー作業でございました。

はてさて、
それではなんのための夜鍋か。
なにも好き好んでこんな日に夜鍋なぞやりゃあしません。
企画まであとひと月を切ったのでございます。


いざ、
尋常に告知。


…とは申しましても、
フライヤーの画像をご覧いただければ、
おおよそいい感じになりそうなのは明々白々でございますれば、
わざわざ老体に鞭打ってつらつらと書き綴るよりも、
ここはひとつ戦略的撤退というものも世の中には存在いたしますし、
ページトップにも出演してくださる方へのリンクもあることですから、
小出し小出しでカウントダウン的に攻めたほうがいよいよよろしいのではないのかしらん、
という気分にもなってまいりました。

よって今回は、
せっかくの夜鍋にケチがつくのもなんですので、
フライヤーについてちょろっと申し上げてお暇いたします。


今回、
久方ぶりのライブハウスでの企画のため、
「箱」をテーマにしております。

…えぇ、その通りで。

箱男、
玉手箱、
に相違ございません。



おやすみなさい。


箱男 (新潮文庫)
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2014年6月4日水曜日

6月11日(水) NUSPRAY @小岩bushbash

ひと月以上更新が滞っておりました。
下書き段階の記事は5件くらいあるのですが、
どうにも手を付ける気分に至りません。

割と忙しいんです、これでも。
やる気の問題かもしれません、それでも。

などと、
言い訳がましいことを申しておりますが、
ちゃっかり宣伝はいたします。


この日はまた豪華な方々に囲まれて、
身が縮こまり戦々恐々としております。

とはいえ我々は4人。
数の暴力で訴えてどうにかできないかしらん、
と仄暗い水の底から覗っている次第です。

久しぶりに新曲も披露する予定ですので、
お暇な方はぜひいらしてくださいませ。


6月11日(水)

NUSPRAY @小岩bushbash


■lounge live:
てかて
篠原篤一 + 谷口圭祐
山田真未(after the green room)
岡村俊宏(bouhatei)

■open19:00/start19:30
■adv1300yen door1500yen(+1drink order)

2014年4月25日金曜日

4月27日(日) 篠原篤一主催 若芽の会

明後日、日曜日にてかてはライブをします。

先日アルバムを出した篠原篤一くんの企画です。

そのレビューがご本人の好評を賜ったので、
わたしも大変やる気に満ち満ちております。

場所は市川にある古書店。
古書の匂いに包まれたならきっと、
目に映るすべてのものはメッセージです。

それでは、
若芽の会でお会いしましょう。

◆場所◆
市川 春花堂
http://ichikawa-chiba.mypl.net/shop/00000302116/
http://ichikawa-chiba.mypl.net/mp/interview_mama/?sid=3205

◆時間◆
16時30分スタート

◆入場料◆
100円(ドリンク付)

◆出演◆
山田真未
山田裕之
てかて
篠原篤一

2014年4月24日木曜日

あいだに佇んでしまう人 ~ わびすけ 篠原篤一 ~



篠原くんがCDを出しました。
タイトルは『わびすけ』。
いまそれを聴きながらこの記事を書いています。

非常にめでたい。
非常にめでたいついでに、これ幸いと便乗レビューに勤しみます。


一曲目の『雪』にある
「ちべたい」という歌詞の語感からしてまず白眉なのですが、
それはひとまず置いておくとして、上の画像を見てみてください。

画像がなかったので、
紙ジャケを広げてスキャンしたものですが、
期せずしてこの画像が篠原くんの音楽を表しているのではないか、
という話をしようと思います。


どういうことか。


楽曲的なことを論ずるのは
わたしの手に余るゆえ歌詞から紐解きますと
一番顕著なのは五曲目『夕方』の歌詞の最後、
「思い出さないで忘れないで」の部分。

どっちやねん!
と思わずツッコミを入れてしまいそうになるところをぐっと堪らえてよくよく考えてみます。
っと、これは滋味です。

思い出さないで欲しい、
けれど、忘れないでもいて欲しい。

これはつまり、
矛盾する二つの状態のあいだで、
どっちつかずに居続けることを意味します。

背反する二つの間に留まる、
あるいは留まってしまうこと。

あいだに佇んでしまう、ということ。

それが篠原篤一の音楽であるように、わたしには感ぜられます。

これは岡本太郎の対極主義のように思われるかもしれませんが、
若干ニュアンスが異なります。

対極主義は能動的に矛盾を矛盾のまま表現しますが、
対してこちらは受動的であり、その気がないのに矛盾してしまう、
どう頑張ってみても"あいだ"に嵌り込んでしまうという、
"どうしようもなさ"が強く働いているように思われます。

また、
「佇む(たたずむ)」と「侘(わび)」は同じ漢字ですし、
「佇む」には「そのあたりをうろつく」という意味もあるので、
矛盾する二つの状態をうろついてしまうという意味において、
『わびすけ』というタイトルは言い得て妙だと言えるでしょう。


このように考えますと、
五曲目の『夕方』も"昼"と"夜"のあいだですし、
二曲目『おはかのうた』の「冬の暖かい日に信念折れ」という部分も
"冬=寒い"と"暖かい"のあいだの微妙な気温を表しています(※1)。

あるいは六曲目『川底』の
「川底まで 拾いに行って 掴んでは また沈める」というところ。

川底の言葉を沈んだままにしておけず、
とはいえ拾って持ち帰るでもなく、
拾って沈めるまでの束の間に焦点が当てられています。

歌詞だけではなく、
篠原くんの演奏中の佇まいもまた同様で、
篠原くんは歌う時に踵が上がって背伸びするように歌うのですが、
それが地べたと空中のあいだにふらふらと佇んでいるみたいで、
彼の奏でる音楽を体現しているように思われます。


事程左様に枚挙にいとまがないわけですけれど、
上の画像の表紙と裏表紙の"あいだ"にある背表紙。
そこのわずかな空間に書かれた「わびすけ 篠原篤一」の文字。

冒頭でも申し上げた通り、
ここに彼の音楽の本質的な部分である、
"あいだに佇んでしまうこと"が端無くも顕れているのだと感じます。


ちなみに、
下の画像は歌詞カードなのですが、
ワビスケの花があしらわれています(間違いだったらすみません)。



そうして、
ワビスケを調べてみたらこんなことが載っていました。

ワビスケの特徴
1.ワビスケの花は一般に小さく(極小輪~中輪)、一重・猪口咲きのものが多い(ラッパ咲きなどもある)。
2.雄しべが花粉を生じないのは「定義」に書いた通りだが、同時に雌しべも不稔かあるいはきわめて結実しにくい。
3.やや早咲きになる傾向がある。
4.子房に毛があるものがある(ないものもある)。
5.花にやや強い香りを持つものがある。
6.花色が紫を帯びた桃色になるものが多い。

なんだか、
特徴の1と2がぴったりすぎて驚きます。
特に2の「きわめて結実しにくい」という部分。
やばいです。


といった感じで、
音楽として普通に聴いてもいい曲揃いですし、
意識的か無意識的かはわかりませんけれど、
わたしの目から見ると非常に上手くパッケージングされたアルバムだとも言えます。

ただ、
出す時期が冬だったらもっと良かったなぁ、と、
ないものねだりしてしまうのは、わたしの身勝手というものです。



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※1
一番最初に『おはかのうた』を聴いた時、
「冬の暖かい日に死ね俺」と空耳して、なんてラディカル!と仰天。
そうして「信念折れ」が本当の歌詞だったことにちょっぴりがっかりしたことも良い思い出です。

2014年4月16日水曜日

感傷地帯  ~幻想遊園地~


5年前だったか、
6年前だったか。

とにかく当時のわたしは、
廃墟や工場に若干の興味を持っていて、
廃墟を扱ったサイトをググったり、
友人と京浜工業地帯の工場を見にドライブ(助手席)したりと、
今思えば変にお熱を上げておりました。

そんなある日、
本屋の美術書コーナーに立ち寄った時のこと。

確か秋葉原の三省堂だったと思いますが、
なんだかノスタルジックな表紙が目に留まり、
わたしは中身も確認せずにレジへと向かいました。


帰宅後、
そそくさと開いた本には、
錆びついてささくれ立った鉄骨や、
繁茂する木々に目隠しされた遊具、
置きっぱなしになっているボウリングの玉。

傍観者のわたしにとって、
閉鎖された遊園地に浮かぶ人の痕跡は、
取り戻せない時間を感じさせてメランコリックな気分を掻き立てます。

そうしてページをめくっていくと、
あるところで手が止まりました。


「カッパピア」


須臾、
わたしはこの文字列が意味するものを理解できませんでした。

しかしながら、
たった二ページに圧縮されたそれは、
わたし自身の凍っていた記憶を瞬く間に解凍し、
わたしを当事者に変えてしまったのです。


群馬県高崎市にあったカッパピアは小学生の時分、
地元のレジャー施設として親しまれていました。

わたしも何度か行ったことがありますが、
「夏」に「プール」と言えば「カッパピア」だったように思います。

実家から少し離れていたこともあって、
カッパピアに行くというは子供心にはちょっとした旅行気分で、
前日は遠足前のようにそわそわと落ち着かず、夜寝付かれないくらいでした。

廃園となったカッパピア。
そこから立ち現れる人の痕跡は、
他の誰でもないわたし自身の幼い姿で、
「よみがえる、あの日の記憶。」という帯文の通り、
記憶の回転木馬が頭の中で動き始め、
過ぎ去った日々を上演してはわたしの感傷を誘い出します。

けれどこの時までは、
カッパピアという名前すら忘れていましたし、
まさかこんなところで再会するだなんて思わず、
あまつさえ二ページという扱いの低さも相まって、
かなり気が動転して「ふぁっ」やら「ひゅん」やら、
なんとも間の抜けた奇矯な声を高らかにあげつつ
落ち着くまでに暫時かかったわたしは夜寝付かれなくなるのでした。

2014年4月13日日曜日

私語(ささめき) ~細雪~

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もうすでに春ですね。
ちょっと気取ってみようと思います。


昨日、
井の頭公園で花見をしました。

毎年恒例で、
5年くらい続いているのですが、
去年参加できなかったこともあり、
ノリで幹事を引き受けることになりました。

たまたま都合が合わなかったのか、
もしくはわたしの人徳のなせる業なのか、
今年は参加してくれた人が半数くらいでした。

そうして当日、
ひとりで場所取りをしている時、
ふと『細雪』を思い出したのです。


『細雪』は、
昭和十年代の関西(特に兵庫県芦屋市)が舞台で、
上流階級である蒔岡家の「鶴子」「幸子」「雪子」「妙子」の四姉妹の話。
雪子の結婚話と妙子の恋愛話を中心に、
主に幸子の視点から描かれています。

兵庫県芦屋市は
神谷メンバーの住居に近かったり、
作家の内田樹が住んでいたりするので、
場所的にもなかなか興味を惹かれますが、
今回は花見の話です。

幸子、雪子、妙子の三人は、
毎年京都へ花見に行くのが恒例行事となっていて、
それが三人の関係や状況の定点観測として機能しています。

最初の花見のシーンからすでに、
三人がバラバラになっていくのが示唆されていますが、
戦争へと傾いていく世の中の状況とも相まって、
年を重ねるごとにそれが顕著になってきます。

小説では、
5回花見の場面があり、
4回目で妙子がいなくなり、
5回目の後、雪子が東京へ嫁いでいくところで話は終わっています。

おそらくこの後、
三人が集まって花見をすることはないでしょうし、
生きて再び会うことができるのかもわかりません。


なぞと、
そんな取り留めもないことを考えていたら、
レジャーシートへぽつぽつと桜の花びらが落ちてきて、
ぐるりの喧騒を余所に、ひとり少しく切なくなったのでした。

2014年4月10日木曜日

自然な人体 ~唯脳論~

唯脳論 (ちくま学芸文庫)
養老 孟司
筑摩書房
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長らく更新が滞っていました。
前回、視覚と聴覚みたいな話をしたので、
それに絡めて唯脳論を取り上げてみます。

25年前の1989年に上梓された本書。
随分前のものですが、
今でもその有効性は薄れていないように思われます。

取っ掛かりとして、
脳と心の関係の問題、心身論についての話が面白かったのでご紹介。

心がどこにあるのか。
心を意識と言い換えてもいいですが、
これは割とみなさん考えたことがあると思います。

なんとなく脳が作り出していそうですが、
脳をバラバラにしていったとしても、
どこかに「心」が含まれているわけではありません。

だとしたら、
「心」は一体どこにあるのか。


著者は、
これは問題の立て方が間違っており、
そもそも構造と機能の関係の問題だと言います。

本書と例えは違いますが、ハサミで考えてみます。

ハサミは物質的な構造を持っていて、
「切る」という機能があります。

しかし、
ハサミをどんなに分解したとしても、
「切る」は当然ながら出てきません。

脳と心も同様の関係で、
脳(構造)からは心(機能)は取り出せないのです。

これはつまり、
同じ「なにか」を違う見方で見たもので、
構造と機能をわざわざ分けて考えてしまうのは、
ヒトの脳の特徴のひとつだとしてここから脳の構造の話に入ります。


ややこしい話は抜きにして結論だけ言うと、
構造と機能のふたつの見方の分離は、
脳の視覚的要素と聴覚的要素の分離であり、
それを統一しようとした結果発生したのが「言語」だと著者は言います。

文字という時間を疎外した視覚的なものと、
声という時間を前提にした聴覚的なもの。

ふたつは全く別のものであるにも関わらず、
わたしたちは両方を「言語」と呼んでいます。

考えてみれば、
これは非常に奇妙なことで、
「粒子」と「波動」のふたつの性質を持った「光」と
なんだか似たような印象を受けます。

文字と声の話も面白いのですが、
これは後々別の本の時にでも語るとして、
わたしが気に掛かったのは、
本書では言語を構成できる感覚はみっつあり、
それは「視覚」「聴覚」「触覚」だとしている点です。

「視覚」「聴覚」については多く触れられているものの、
残りの「触覚」に関しての言及は点字くらいしかありません。

著者は最後にこう言っています。
脳化つまり情報化した現代社会は、
身体を統御し支配しているが、
脳はかならず自らの身体性によって裏切られる。

それが死だとして、
都会に残された最後の自然である人体に注意を促していますが、
先の語られなかった「触覚」による言語がここで気になります。

身体と触覚。
手触りによる言葉の追求というのは、
なかなかに興味深いテーマですし、
「皮膚-自我」という見方もあるようなので、
このあたりのことは色々と考えてみたいものです。

2014年3月21日金曜日

ライブでございました。

昨日は出演者のみなさん、
ブッシュバッシュのみなさん、
来てくれたお客さん・・・はいませんでしたが、
まったりとした楽しい時間を過ごさせていただきました。
ありがとうございます。

てかては三人で出演する予定でしたが、
突如、かみやメンバーが出られることになり、
四人全員での演奏と相成りました。めでたし。

しかし、
ペットボトル片手に颯爽と現れた彼には楽器がなかったため、
わたしのピアニカを貸すという、BL的展開があったことはここだけの秘密です。

2014年3月18日火曜日

ライブでございます。

明日はてかてのライブでございます。

週の真ん中水曜日、
真ん中もっこり、夕焼け!ニャンニャーーン!
といった調子で、ぶらりお立ち寄りいただければ幸いです。


◆2014.03.19(水)◆

◎場所◎
小岩ブッシュバッシュ

◎出演者◎
はるお幕府(27歳)
服部繁人
SOX
てかて
ダテチヒロ
岡村俊宏(bouhatei)

◎時間◎
入場:19時
開演:19時30分

◎料金◎
前売:1300円
当日:1500円
(+1杯注文)

2014年3月14日金曜日

声なき「聲の形」

聲の形(1) (少年マガジンコミックス)
大今 良時
講談社 (2013-11-15)

しろーくんが書類の山に追われた上役のように、
太鼓判をボコボコ押していたので読んでみました。
聲の形(こえのかたち)と読みます。

書くのが億劫なので概要はwikiから。
"聴覚の障害によっていじめ(嫌がらせ)を受けるようになった少女・硝子と、彼女のいじめの中心人物となったのが原因で周囲に切り捨てられ孤独になっていく少年・将也の2人の触れ合いを中心に展開し、人間の持つ孤独や絶望、純愛などが描かれる。物語は2人が小学校時代における出会いの回想から始まる事になる。"
さて、
無意味に前回の流れを汲んでいるのがお分かりでしょうか。

沈黙 → 聾唖(ろうあ)

今は亡き円楽師匠の
山田くんを呼ぶ声が聞こえてくるようですね。

「おーい、やまだくん。さかのに座布団見したげて」

・・・失敬。
つい悪乗りしてラーメンズネタを。。。


当初の予定していたキャラが
ガラッと或いはガラガラと音を立てて崩れている気も仄かにしますが、
お構いなしで長閑にいきましょう。

とは言ってみたものの、
あまり語るところが見当たりません。

別に面白くないわけではなく、
十分面白いんだけれど「思てたんとちゃう」という感じ。

この漫画を読む前に紹介動画を観たのですが、
これが非常に出来が良くて、その足で漫画を買いに走ったくらい。
(ここでも紹介しようと思いましたが削除されてました)

漫画だと、
シリアスとギャグがぎこちないというか、
どちらも殺しあって上手く噛み合ってない印象を受けました。

女の子が主人公のことを
高校生になるまでずっと気にしていたのも違和感がありますし。

まぁ少年マガジンですから、
「BOYS BE…」的なご都合展開と考えれば納得できなくも・・・。

うーん、
なんだか内容に関しては、
腐すことしか言えそうにないので、切り口を変えてみます。


タイトルの「聲の形」。

2巻まで読んだ段階では手話のことだと思われますが、
「口にはできないこと(エッチなことではありません)をどういう形で伝えるか」
ということがこれから展開されていくのだろうと予想します。

はてさて、
声ではなく手話で伝える、ということは、
言い換えれば音ではなく映像で伝えるということです。

「聲の形」。
声を形にすること。
それは聴覚から視覚への移行を意味し、
現代の"見ること"への欲望が見え隠れしているように思われます。

「ビッグデータ分析」や「見える化」といった可視化の動きも、
"あまねくものを見たい"という欲望が加速しているからなのかもしれません。

ネットメディアは視覚情報がほとんどですから、
この趨勢は致し方ないところなのでしょう。

なぞとは言い条、
見えそうで見えないのが一番エロいと思うんですけれど、いかがでしょうか。

2014年3月12日水曜日

語りえぬものについては、沈黙しなければならない

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)
かじいたかし
ホビージャパン (2011-06-30)
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のっけから萌えまっしぐらな表紙で失礼します。

アニメのラッピング電車が山手線を走り、
駅構内では萌え絵が鎮座ましまし、
二次元少女が自衛隊へいざない
群馬県が協力するご当地ライトノベルまで出る昨今、
もしや日本の未来を予言しているのかしらん、
といった危惧をうっかり抱きかねないお話です。

概要をウィキペディアから説明しますと、
萌え文化が蔓延し、漢字が使われなくなった23世紀の日本と、
萌え文化がまだ広まる前の現代の日本を舞台とした、
いわゆるハーレム系ライトノベルというやつ。

本のタイトルは、
漢字の読めなくなった23世紀の日本人にあって、
主人公の義理の妹は古典の翻訳ができるため「漢字が読める」というわけです。

構成もなかなかに凝っていて、
作家志望の主人公が23世紀の文体で書いたものを、
義理の妹が翻訳しているという体裁になっています。

内容はというと、
…ウィトゲンシュタインよろしく沈黙せざるを得ませんが、
試みとしてはとても面白く(無駄に)考えさせられたりします。

わたしが、
世間から白眼視の憂き目も已むなし
といささかやけっぱちになりながら
この記事を書く理由もここらあたりにあります。

さて、
余計な説明はあとにまわして、
まずわたしが言葉を失ったきっかけを追体験してもらう意味も込めて、
こちらを読んでみてください(心臓の悪い方はご遠慮願います)。

冒頭、
主人公が23世紀の日本文学を代表する作家に会いに行き、
書き上がったばかりの原稿を読む場面(作家の小説の冒頭部)。

でたひと→きよし
きよし「おくれちゃうにょ」
どうがサイトみてたら ねぼすけ ←だめっこ
いきなりちこくは やばっ
こうえんぬけたら
おなのことごっつん☆
きよし「うあっ」
おなのこ「みゃあっ」
わわわ でんぐりがえっておぱんちゅ きらり☆
きらっ きらっ
きらり☆
おぱんちゅ→おそらいろ
きよしっこてれっこ

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2014年3月7日金曜日

「である」と「です・ます」

文章読本 (中公文庫)
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日本といえば、フジヤマとゲイシャとハラキリ。
三島由紀夫といえば、マッチョとゲイとハラキリ。
そんな(どんな?)日本を代表する作家であるところの、
三島由紀夫が書いた文章を読むための本。

なぜか画像に「今月の新刊」とありますが20年近く前の本です。
地球の歴史から考えると20年くらいはまだまだ「今月」ということでしょうか。


さて、
この本は「読む側からの"文章読本"」を掲げ、
「普通読者(レクトゥール)」である人を
「精読者(リズール)」に導くことを目的として書かれているものです(うーん、よくわからん)。

文章を読むために文章を読む、というのは、
なんとも胡乱で永劫回帰感がしなくもないですが、
この本は日本語論としても読めるのでなかなかに興味深いです。


日本語にはフランス語やドイツ語のように、
名詞による男性・女性の分類はありませんが、
平安朝時代には漢字が男文字、仮名が女文字と呼ばれていました。

漢字は外(中国)から来たもので、
仮名は内(日本)から発生したものなので、
「源氏物語」や「枕草子」や「土佐日記」といった、
古典とされる物語や随筆がこの時期に仮名で書かれているということは、
日本文学の本流は女性的文学と言っても過言ではないかもしれません。

そういえば、
日本でエッセイやブログが多いのは、
こういった伝統から来ているからかもしれませんね。
(認知言語学的な側面も大いにあるでしょうが)

とはいえ、
男性的文学が駄目なわけではなく、
単に機能が異なっているというだけの話で、
俳句に代表される、極度に圧縮された簡潔な表現がこちらの本分なのでしょう。

著者はこの二つの代表的な作家として、
男性的文学では森鴎外を、
女性的文学では泉鏡花を例に出し説明しています。

このあたりのことは、
『言語にとって美とはなにか(吉本隆明著)』にある、
「文学体」「話体」の分類を併せて考えると面白そうです。


明治期の言文一致運動を経た今、
この二つの文学を文体でざっくり分けると、
「である」文と「です・ます」文に分類できると思います。

この本では「です・ます」文が使われていて、
著者曰く、小説以外では「僕」というのも使わないそうです(本書では「私」)。

わたしもこの文章を「です・ます」文で書いていますが、
有り体に言えば「である」文のほうが断然書きやすいです。

たしか批評家の東浩紀が言っていたと思うのですが、
「である」文だと聖闘士星矢的な必殺技感が出るそうです。

ほら、
「アナザーディメンション」って言われると、
なんだかよくわからないけどとにかくすごそうじゃありません?

そんな感じで文末を「である」にすると、
意味のよくわからない(わたしのような)下手な文章でも賢そうに見えますし、
断定することで説得力とやったった感が出るのである(ドヤ顔)。

一方、
「です・ます」文にすると、
ふにゃっとして曖昧な印象の文章になるので、
きちんとした筋道を立てて書かないとすごく読みづらい。

わたしが「です・ます」文で書いているのは、
そういったことの練習のためだと言えます。
(これも東浩紀が言ってましたけれど。
ちなみに彼の近著である『セカイからもっと近くに』は「です・ます」文です)

また、
一人称を「わたし」にしているのは、
紀貫之が「土佐日記」で女性のふりして書いていたみたいに、
身振りを真似ることで面白い発見がないかなぁと思ったからです。
こちらのほうが日記やエッセイに合ってそうですしおすし(合ってないかしらん…)。

女性のふりして文章を書くなんて、
さながらネカマのようですけれども、
ことによると彼らは現代の紀貫之なのかもしれませんわね。オホホホ。


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2014年3月5日水曜日

大衆は大衆が大嫌い

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内田樹が大好きです。
共著や対談も合わせたら70冊くらい読んでます。
自分でも引きますね。。。

たぶんあと10冊くらいで網羅できそうな勢いですが、
1年に5冊くらい出てるので(引きますね)、
作者とのイタチごっこに勤しんでおります。

こんなに読んでいる人は他にいなくて、
なんでかなぁと考えてみたのですが、
端的に読んでいて気持ちがいい。
文章のリズムの取り方と論理の運び方がめちゃくちゃ上手いんですね。

だから、
かなり専門的な用語が多用されているけれど、
身体をねじ込むように読んでいくうちにいつのまにか理解できてしまう。
なんだか自分がものすごく頭が良くなったような気になれる(錯覚ですが)。
そんな風に知的興奮をすごく味わえる作家です。
前回の自分の記事を読んで、
そのヘッポコさに悶絶グルーヴィーだったわたしとしては羨ましい限りです。


といったところで本の内容に入りますが、
一番気になったのは「ニーチェ主義的大衆社会」の部分。

ニーチェの超人思想というのは、
誤解を恐れず簡潔に言えば、
"自分よりも劣等なものを憎み、軽蔑することを自分自身の気高さの支えにする"ことで、
自分自身を高めていくというものです。

ニーチェがいた時代には、
こんなことを考えているのが彼しかいなかったので、
痛烈な文明批評になりえたのですけれど、
時代が下るにつれて「俺もニーチェの気持ちがわかる」という人が増えて、
みんながみんなを軽蔑するような「ニーチェ主義的大衆社会」になった。
と、著者は書いています。

これを読んでわたしの頭に真っ先に浮かんだのは「リーガル・ハイ2」でした。
内容をウィキペディアから引用するとこんな感じです。
"訴訟で一度も負けたことがない敏腕弁護士・古美門研介(こみかど けんすけ)と真面目で正義感の強い新米弁護士・黛真知子(まゆずみ まちこ)の2人が繰り広げるコメディタッチの弁護士ドラマ。"
古美門さんはとにかく大衆が嫌い。
特に最終回では大衆がいかに愚鈍であるかをのべつ語ります。

ドラマは大変好評だったようなのですが、
なんだか変じゃないですか。

最終的には「愚かな大衆を愛せ」
といった美辞麗句で締めくくられていましたが、
これは明らかに「馬鹿な視聴者が好きです」という
製作者側のメッセージが感じられます。

ドラマの中で語られる「大衆」とは、
云わば「視聴者」のことであるはずなのに、
「ふざけんな」とか「視聴者を馬鹿にしている」
といった文句も寡聞にして知りません(あるかもしれませんけれど)。

つまり、
このドラマを見ていた人は、
古美門と一緒に大衆を馬鹿にし溜飲を下げていて、
自分を「大衆」だと思っていないということなんだと思います。

「ニーチェ主義的大衆社会」ここに極まれり。

こんなこと書いているわたしも、
大衆を馬鹿にしていることに変わりはないのかもわかりません。

ですが、
自身が大衆の一員であること。
これは(自省も兼ねて)ゆめゆめ忘れてはいけませんし、
なによりガッキーの可愛さをゆめゆめ忘れてはいけないのです。


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2014年2月23日日曜日

観客の不能性

雪国 (新潮文庫 (か-1-1))
川端 康成
新潮社
売り上げランキング: 12,739


先週末、新潟の豪雪JAM に行く予定だったので、
せっかくだから現地で読もうと思い購入しました。

ところがその週の水曜日、
わたしの胃はキリキリと痛み出し、
金曜日に胃カメラを飲めば東京の空の如き荒れ模様。
ギリギリと歯噛みしいしい、泣く泣く断念することと相成りました。
※豪雪JAMは中止だったようです(さっき知りました)

その後、
胃の痛みが解けかかった矢先に身体が熱を出し、
またしても寝込むことになり、
我が身の不甲斐なさと床擦れを気にしつつ今に至ります。

とまぁ、
前口上はこのくらいにしておきまして、
「雪国」へと参りましょう。


筋としては、
雪国へやってきた男(島村※所帯持ち)が、
温泉町の芸者(駒子)といちゃいちゃしているけれど、
実は少女(葉子)を一番愛していた、というロリエロ話。
略してエロリ話です。
ラノベのおっさんバージョンみたいなものですね。

島村と駒子のいちゃいちゃぶりはそれはすごくって、
特に最初の方の駒子との再開の場面で、
島村が「こいつが一番君のことを覚えていたよ」とか言って、
左手の人差し指を駒子に突きつける件なんて、島村、ただのエロおやじです。
ハメ撮りのAV観てるのかと思いました。



…えーと、どうやら、
インテリゲンチャな雰囲気を醸し出すという、
このブログでのわたしの高尚な使命が早々とご帰宅され、
漲る熱いパトスが下世話な猥談を団体さんで連れて来ているようです。

これはいけません。
台無しもいいとこです。
非常に後ろ髪引かれますが、楽しいエロトークはここまでにして、
もう少し真面目な話をします。



はてさて。
この小説は最後まで読んでもよくわかりません。

話は途中でいきなり終わるし、
駒子と葉子の関係は結局何だったのかも明示されず、
ましてや物語的カタルシスなどはほぼない。
端的に言ってしまえば、面白くないのです。

しかしこれは、
話の筋だけ読んだ場合。

どういうことかというと、
この小説は「話を読む」ものではなく、
「文章を読む」ものであり、
本文を引用すれば「"この世ならぬ象徴の世界"の美しさを楽しむ」ものなのです。

つまり、
エピソードの連なりによって、
ある主題を物語るのではなく、
人物、風景、出来事etc、それぞれの瞬間の素描が、
作者の美学を物語っている小説だと言えます。

ですので、
話が面白くないという感想はまったくの見当違いで、
もし否定するのであれば、
「作者の文章表現が合わない」とするべきでしょう。

ということで、
わたしには作者の文章表現が合いませんでした。



お後がよろしいようでなので、
ここで終わりにしてもいいのですが、むしろ本番はこれから。

文章表現が合わないとは言っても、
「~た」で終わる文が続くことに、
どうにもわたしの読むリズムが合わないというだけで、
非常に洗練された文章であることは疑い得ません。

それよりもわたしが興味深いのは、
この小説の構成や構造に関してです。

上記のように「雪国」では、
"この世ならぬ象徴の世界"を描くことが主眼となっているため、
雪国が舞台であるというのが顕著ですけれど、
登場人物もまた、表現のための装置として配置されています。

主人公の島村。
親の遺産で無為徒食して暮らす、いわゆる高等遊民(うらやましい)。
東京に妻子がおり、西洋舞踊の紹介などを書いている人物です。

主人公とは言うものの、
その存在感は希薄で、温泉町における部外者という立ち位置です。

冒頭、
電車の中で窓ガラス越しに葉子を見つめている場面での、
「映画の二重写し」という表現から始まり、
映画館の火事で終わるという構成自体が、
島村の存在を暗喩的に語っています。

これはつまるところ、
島村は映画の観客のように、
物語へ関与できないということであり、
それはまた読者自身のことでもあります。

駒子との東京へ帰る帰らない問答の、
「いつまでいたって、君をどうしてあげることも、僕には出来ないんじゃないか。」
という台詞からもそれは窺え、
妻子持ちであるという設定は島村の不能性を担保するものとなります。

こうした島村の不能性=読者の不能性というモチーフは、
前に書いた江戸川乱歩にも通じるもので、
演技者と観客という関係の転倒を描いた江戸川乱歩に対し、
川端康成はそれを硬直した関係として描いています。


「雪国」で興味深いのは、
この不能性の関係が二種類存在するということです。

一方は葉子と島村の関係。

これは非常にイマジナリーなもので、
小説と読者との関係にあたります。

そのため葉子は、
作中において、象徴的な美として描かれています。

 もう一方は駒子と島村の関係。
こちらはリアルかつ身体的なもので、
演劇と観客との関係にあたり、現実的な美として描かれています。

島村が葉子へどうしようもなく惹かれてしまうのは、
「雪国」が小説という媒体である以上、当然だと言えるでしょう。


リアルまたはイマジナリーな関係における観客の不能性。

これをどう乗り越えていくかは、
わたしとしては非常に興味深くかつ実践的な課題です。

つまり、
ライブでの観客との関係と、
レコードでの聴者との関係をどう設定するかということです。

ライブに関しては、
寺山修司の都市演劇が参考になるかなぁと思っていますが、
レコードに関してはよくわかりません。

現状を見ると、
ARやプロジェクトマッピングなど、
ライブに関しては様々なことが試されているような気がしますが、
レコードに関してはあまりないように思いますので、
こちらのほうを考えると面白いかもしれません。


AV発言の反動で真面目すぎる話になってしまいましたが、
なにはともあれ人間健康が一番ですね。


※川端康成と江戸川乱歩の関係は「復興文化論」、
寺山修司については「情報社会の情念」に多大な影響を受けていますので、
そのうち書きたいなぁと思っています。


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2014年2月16日日曜日

戻りました

先週末から約1週間、カンボジアとハノイに行ってきました。

雪による飛行機の遅れやアンコールワットの感動的な情景の話は一切しません。

ハノイの旧市街は36通りもあって、通りごとに商品が分かれています。
メガネだけの通りとか、おもちゃだけの通りもあります。
観光客用の通りだとは思いますが、なかなか楽しかったです。

そんな中、ほぼシャッターの閉まった通りがありました。
民族楽器通りです。

面白いものがあったら買おうと思っていたのですが、店自体がほぼ閉まっている上に
かろうじて開いているお店も銅鑼がメインでした。

銅鑼の購入を迷っていたら、店の入り口に口琴を発見。

口琴はてかての「ごあいさつ」という曲で坂野さんが弾いているのですが、
とても不思議な音がして、わたしも1回弾いてみたかったのです。
てかての皆も絶対そう思ってると思い、みんなの分買ってきました。

帰宅後、ネットで演奏方法を調べつつ弾いてみたんですが、面白い!!
音階とか全然つけられないけど、びよーんって。

これ弾けるなんて、坂野さん(呼んだことないけど)すごいと思いました。


口琴の音がわからない方はてかての「ごあいさつ」を視聴してみてください。
私はびよーんとしか言えないので・・・


さとこ

2014年2月9日日曜日

小岩ライブありがとうごさいました

平日の為最初から見れなくて残念。
コントノボ見たかった…

見れたのだけ感想

堤くんは相変わらずオシャレな曲でした。
ギターお借りしたけど、同じギターなのに
全然違う音ですごいです。
(私の下手さは最低レベルですが)
音源ないのかな、歌詞もじっくりよんでみたいです。

SOXはすごくよかったです。
パーカッションの方に見入ってしまいました。
色んな音が選べる中で選んだ楽器が、
ギターと歌とすごく合ってた。
もっとききたいです。

てかては…いつもと違うけど、いつも通りな気もする
ライブでした。

きくりんさんのカレー
わがままな辛さの調整に応じてくれました。
最高でした。次回は倍の辛さを希望してみたい!

ブッシュバッシュは週末の感じも楽しいけど、
平日ののんびりしか感じが好きです。

家が近かったら本とか読みに通いたい位です。

みなさまありがとうございました。


見世物小屋のランダム・ウォーカー

屋根裏の散歩者 (角川ホラー文庫)
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売り上げランキング: 533,441


「屋根裏の散歩者」
「人間豹」
「押絵と旅する男」
「恐ろしき錯誤」

上記収録の江戸川乱歩短篇集。
友人に借りて初めて読みましたが、まぁ面白い。

この短篇集からの印象だけですけれど、
江戸川乱歩の語るお話には、
「非対称性とその転倒」が中心にあるような気がします。

「屋根裏の散歩者」での、
「屋根裏から覗く者/覗かれる者」の関係。

「人間豹」での、
「見世物/観客」の関係。

「押絵と旅する男」での、
「現実の男/絵の女」の関係。

「恐ろしき錯誤」での、
「知る者/知らない者」の関係。

それぞれの非対称で歪な関係によって起こる珍事と、
そうしてそれがふいに転倒されることで、
不確かであやふやな現実を印象付ける仕掛けになっています。

敷衍すれば、
これは作品と読者の非対称性の転倒可能性をも示唆するもので、
「押絵と旅する男」での作品の中に入り込んでしまう男に顕著ですが、
もしかしたら現実に(或いは自分に)起こり得るかもしれない、
ということを感じさせ、恐怖譚かくあるべし、といった趣です。


また、
おそらくは江戸川乱歩の特徴として挙げられている(であろう)文体が、
この面妖な世界観に、ぞっとするような真実味を与えてくれます。

作者が書いているというよりも、
謎の人物が語っているという体で、
それは云わば神話や民話などの語り部による口承に近く、
「文体」というよりも「語り口」と言ったほうがよいかもしれません。

口承は実体験ではありませんから、
とろこどころ不明瞭な部分があり、
全てが明らかになることがないが故に、
それがかえってリアリティを感じさせもします。

まぁ、
現実というのは常に虫食い状態ですからね。

そんなこんなで、
蓼食う虫も好き好きとは申しますが、
世にも奇妙な物語や都市伝説好き、
或いはエログロナンセンス好きにおすすめです。



余談ですが、
「江戸川乱歩」という筆名が、
エドガー・アラン・ポーのもじりだというのは有名ですけれど、
「乱歩」が英語で「ランダムウォーク」というのは、
何が起こるかわからない現実の不確実性を感じさせる、
彼の作品性にぴったりのネーミングだと思います。

ちなみに表題はこちら↓のもじり。

ウォール街のランダム・ウォーカー―株式投資の不滅の真理
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2014年2月7日金曜日

そろそろ限界のようなのです。

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知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)
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感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)
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限界三部作。

20世紀は様々な学問の分野で限界が叫ばれてきました。
例えば「ゲーデルの不完全性定理」「ハイゼンベルクの不確定性原理」なんかが有名です。

そんな限界の数々をディベート形式で紹介しているのがこれらの本。
かなりラジカルな人物達が繰り広げる、
時に行き過ぎた意見にちょっぴりドギマギしつつも、
分野が多岐に渡っているので入門編にはもってこいです。

週末には都知事選がありますが、
「理性の限界」 に出てくる、
完全に民主的な社会的決定方式が存在しないという、
「アロウの不可能性定理」なんていうのを知ると色々と考えさせられます。

選挙の形式によって、
選ばれる人格のタイプ が決まってくるらしいのですよ、これが。
選挙制度って一体なんなのでしょうね。

とか言ってますが、
今年に入ってからこっち、
風邪が一向に治らず、
あまつさえ胃が荒れ果てていく始末。

そろそろ体力の限界を感じる、今日この頃なのでありんす。

2014年2月5日水曜日

てかてライブします。明日!

ここ数年、よくドアにぶつかる。
会社の暗証番号入力するドアがとても苦手。
番号入力後、いっつも解錠する前にドアに激突して、
メガネをぶつけます。

でも今日はいつもと違って、入力も忘れたし、
ドアノブ回すのも忘れて突っ込みました。
当然ぶち破ることはできませんでした。

こういう時の脳の働きが気になります。

明日はライブです。宜しくお願いします。
小岩です!


2014年2月3日月曜日

あー民

岡田あーみん「こいつら100%伝説」


 タイトルの謎感。
内容がまったくつかめません。

単行本1巻には、
「見習い忍者の危脳丸(あぶのうまる)、極丸(きわまる)、満丸(まんまる)の
3人がくりひろげる、ヘンタイ衝撃ギャグ。」とあります。

が!そんなことよりも、
いま「あぶのうまる」と入力したら、
普通に変換できたことが衝撃。
・・・大丈夫かしら、日本。
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